うちの100歳の婆さんが死んだ

朝から村の人間がやってきた。
「和尚さん、うちの100歳の婆さんが死んだから、和尚さん、告別式やってえな!」

ワシが
「やらんぞ。葬式ならギャラ次第でやるけどな」

村の人間が
「どう違うんですやろ?」

ワシが
「告別式は別れを告げる式という意味やが、死ぬことは別れではないからや」

村の人間が
「でも、冥土に旅立たせるためにお経詠むんですやろ?」

ワシが
「違うわい。お前、月は知っとるやろ?月は形変わるか?」

村の人間が
「三日月、満月、月がなくなる夜もあります。」

ワシが
「違うやろ。太陽の光の当たる角度で、月に映る地球の影が変わるだけや。
時には地球が邪魔して月が無いように見える。これが一般に言う死というものや。
形が変わる、形が見えなくなる。でも月は不変でどっかり宇宙に本体はそんざいする。その本体こそ、人間の魂や。
そのことを説いてるのが般若心経や。『死んだばかりのお前は不安だろが、お前の魂にはなんの変化もない。心配すんな』と呼び掛けて、『安心(あんじん)』を渡す。これが本来の葬式や。つまり永遠やぞ」

村の人間が
「ふーん、人生はわしが行くキャバレーのミラーボールみたいなもんですか?」

ワシが
「そうとも言える。お前、ミラーボールは何色や。」

村の人間が
「あたる光で色変わりますな!普通は、ま、鏡の色、銀色ですわ」

ワシが
「それと同じよ。しかしな、その銀色すら、太陽の光の仕業やぞ。本当は何色かすらワシらには判らん。それが、『空色色即是空』だろうな。だから、お前ら、自分で自分の中から色を出せい。
世の中が投げ掛ける色に左右されず、お前が内側から発色せい。力づよくいきろ。それが、自灯明よな。
葬式のギャラは高い目で頼む!

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