お前、修行しとるのか?

最近、村にちょっと妙なのが来て、見たところ熱心なことは熱心に修行してる。あの男はまだ二十代半ばぐらいやな

滝を通りかかったら、そいつが滝に打たれておった。滝からふらふらになって出てきた。まず真面目そうな男やった。

ワシが
「お前、修行しとるのか?
ご苦労様やな。お前は何を求めてそんなオモロイ真似しておるんじゃ?」

若者が
「はぁ。以前、サラリーマンをしておりましたが、虚しさを感じまして、今は仏法の修行しております」

ワシが
「お前、サラリーマンみたいな大事な仏法の修行を放り出して、山で水遊びして仏法の修行になるのかよ?」

若者が
「サラリーマンが仏法の修行だというのですか?あんな金儲けのものためのものが?」

ワシが
「おうよ。仕事というのは他人の役に立ち、他人に親切にし、他人や社会に喜んで頂くのが第一義の立派な仏法修行やぞ」

若者が
「しかしお金を目的とするではないですか?」

ワシが
「金が悪いか?
ええか、報酬というのはの、
『あなたの能力と労力と時間を私のために使わせて下さい。あなたにも生活がおありだから、その分生活費をお支払い致します』
ということや。
金は人間尊重の証よ。
その金で生きていけるし、家族を育てられる。
言い換えれば、次の修行が出来るように神仏が給与の名前で奨学金くれておるのよ。
金が儲からん修行は修行ではない。
ワシの信条は
『この世で一番綺麗なのは金』や。
金にならん修行は、うまいこと誰かに騙されておる」

若者が
「しかし、私は今、大自然の中で清らかに生きております。」

ワシが
「そりゃお前、酒場も風俗も無けりゃ、可愛い女もおらんこの村では悪いことしようがないわい。
この村では、今年38歳のゆりが娘扱いされとるわい、ぷっ(笑)。
嫌な上司もおらんしな。
しかし、人間のホンマの修行は浮世にある。次々とやってくる誘惑とハラスメントの中で己が磨かれるのが修行や。
お前のは修行ではない。もっともらしい顏して楽しておるのだ」

若者
「私は修行して世の人を導けるような宗教家になろうとしているんですが、では私はどうしたら良いのでしょうか?」

ワシが
「ならば、娑婆に戻れ。
坊主がナイアガラの滝に打たれて修行しようと、空手家が100万回巻藁突こうがそれはそれだけのことや。
それだけでは人々を諭すことなんぞ絶対に出来ん。
『体験なきは真知にあらず』
宗教家の知ったかぶりほど迷惑なもんはないわい。
坊主の真似したかったら、娑婆の修行しながらやれ」

どうもな、みんな、屋上屋をかすではないが、修行を特別なものに思いがちやな。

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