さっき読んでおったお経の意味は分かるんか?

ワシの寺、理弁寺の本堂で年忌供養が終わった後、檀家の親父が質問してきよった。

「なあ、和尚さんは、さっき読んでおったお経の意味は分かるんか?」

ワシが
「分かるわい。
馬鹿にすんな。まぁ、そうは言うても、意味分からんで読んどる坊主は結構おるな。
何しろ音訳がな、ま、デタラメやから。」

親父
「クリョクリョ、シリシリ、シッコーシッコーって何でんの?笑いそうになりましたわ」

ワシ
「あれは、災いを取り除くお経でな、あそこで出て来るノラキンジはニーラカンタ、つまりヒンズーのシバ神のことや」

オヤジ
「ヒンズースクワットが仏教修行でシバくんでっか?」

ワシ
「ドアホ!ボンバイエかお前は?
ヒンズー教のシバ神が仏教に取り入れられてアチャラナータ、つまり不動明王になるのや。
シバ神は世界中の海から湧き上がる毒を吸い込んだが故に身体中が青黒くなる。それが起源で不動明王も青黒いのや。
毒を吸ってもくたばらん。同じ意味で、毒虫、毒蛇を食っても美しい孔雀がインドでは尊ばれる訳や。
人生も同じよの。苦という毒を平らげて、尚、成長したいものよの」

親父
「和尚さん、今日は坊さんみたいなこと言うのう」

ワシ
「たわけ!ワシはプロの坊主や」

親父
「ほな、あの有名な般若心経を解説してや」

ワシ
「ここから割増料金になります。」

親父
「俺が通うキャバレーみたいなこと言いよって」

ワシ
「それやがな。
お前みたいなボンクラにはそう言わな分からん。
お前通うとるキャバレーにミラーボールあるやろ」

親父
「あのクルクル回って色々と色変わる奴な」

ワシ
「せや。ミラーボールの色が変わるのは当たる光によるものであってミラーボールは何も変わらん。」

親父
「銀色のままやな。ま、ムードは変わるけどな」

ワシ
「月には満月、三日月、新月と色々あるが、あれは太陽の光が映し出す地球の影であって月はいつでも球のまんまや。
つまり、月に満ち欠けはないのや。
人間の魂、命もこれに同じ、満ち欠けはない。
光が映し出す影で、幸だ不幸だ、若い、老いたと、オタオタしてはいかんということや。
これが不増不減、不垢不浄ということや。」

親父
「なるほどな。そやけど、何で、それを葬式やら供養に読むんや?」

ワシ
「かつて生きておった者にとっては、肉体のない状態が不安でもあるわけや。
しかし、考えてみ。
これは月でいう新月や。
地球の影が月に重なって、月が見えんことなる。そやけど、さっき言うたように、月は全く変わらず存在する。死と言われるものも同じこと。
お亡くなりになっても、お無くなりではないのや。
つまりは肉体のあるなしは、地球の影が月の形を変えて見せるが如く、地球の事情よ。

『アンタはいてまっせ。安心しなはれ』という呼びかけやな」

親父
「と言うと、お経は?」

ワシ
「魂の飯じゃ。
お経を読む方も、読まれる魂も美味しい思いをする。満足する。
供に養われる。だから『供養』というのや。
それをお盆に行うのが施餓鬼供養や。先祖はお前を見とる。お前もたまにはお経で先祖と食事会やれや」

コメント