人はなんで生きるんでしょうか

ノイローゼ男
「人はなんで生きるんでしょうか」

ワシ
「まずは死ぬのが怖い。
次は生きていると気持ち良いことや楽しいこともある。生きていると会える人がいる。
ま、これが人間が生きて行く上での感覚やな。」

ノイローゼ男
「生きていく上で大事なものは何でしょう?」

ワシ
「金や。
金は生きる力を金の形にして保存出来るのや。
金は万能に近い力を持っておる。
加えて、金には働く者の涙、汗、愛が詰まっておる。感情のタイムカプセルや。
だから、ワシは金を悪く言う奴は信心が始まってもおらんと思う。
ただ金が終点ではないだけのこと。
しかし金という通過点を通らなければ目的地には行けない。
世の中の嘘の宗教は金を否定する。そのくせ、金を働かずに欲しがる。」

ノイローゼ男
「でも、和尚さん、あの世に金は持っていけんと言います」

ワシ
「金のままではな。
金は人間の本来の仕事をするための道具であって、通貨だけに人を通過していくもんじゃ。
この金を稼ぐ時に、良い働き方をすることで幾らかの徳が生まれる。
貯めたお金を良いことに使うと、お金と引き換えに徳が生まれる。
これをラッキーコインというのや。
言い換えるとあの現金がまずないとラッキーコインは生まれないんじゃ。
ある意味、見えないがラッキーコインが生まれる。
このラッキーコインは天国現世地獄に共通貨幣だ。
見えないから分からんが、このラッキーコインで人生の事故や災いを免れてるけともあるようじや。
またこのラッキーコインがある間は、ある人の幸せを願えば願われた人は幸せになるというし、故人の冥福を願えは故人があの世で幸せになるともいう。
だから『追善』というのだな。「善の追加」よ。
また、人の為に働いたが、すっからかんになったが、まだ生きていられるというのはラッキーコインが貯まっておるからよ。
他人のために現金はからになったが、それは、神様がラッキーコインに両替してくれたからや。
だからといって騙されてはいかん。
神を名乗って寄付集めするバカもあるからの。
だからな、この世で勤勉でありお金を稼ぎ、良い遣い方をすることと、所謂、極楽往生することは矛盾せんし、良い人間として生きることも結果として徳になるんじゃ。
ええか、この世のお金は良い使い方でラッキーコインと両替出来るんじゃ。
使い方が人の慈悲に通じるものならば10円が途方もない額のラッキーコインにもなる。」

ノイローゼ男
「じゃ、ラッキーコインがないと?」

ワシ
「仮に極楽、天国があるとするなら、良い所には行けんな。
自殺なんかしたら、ラッキーコインの儲けようもない。
お前は、病院の薬でパーになり、離婚し、子供とも別れ、可哀想ったら、ありゃしないが、考えてみりゃ、自分の至らなさを思い知った上で、こうした立ち直りのチャンスがあり、平均寿命まで生きたら、後、30年もあるやないか?
お前は果報者よな。
もう今更、「あの時どうのこうの」と過去は考えるな。
今から豊かになることを考えい。
未来から今を過去をしあわせにせい。
人間は幸せになるために生きておるのや。
この世で本当に幸せならあの世でも幸せや。
お前、幸せではち切れるような男になれや」

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