男はオオカミなのよ、気をつけなさい〜♪

寺の縁側で寝転んで考えておった。

♪ペッパー警部、邪魔をしないでぇ〜♪
♪男はオオカミなのよ、気をつけなさい〜♪
ピンクレディはどっちの味方じゃろうな。

あっ、客が来た。


「はじめまして、理弁寺の和尚様、私は仏法に従い、人生を浄らかに生きようと思っておるのです」

ワシ
「無理やな(笑)無理。(笑)
今の世の中でいう仏教が釈迦が説いた本当の仏法かどうかは知らんが、今、世の中でいう仏教から見れば生きること自体が悪やないか?」


「それは?」

ワシ
「歩いても草や虫を踏む。
グルメだと言っても生き物を殺す。
ファッションだと言う裏側では動物が生きながら皮はがれる。
エッチしないと子供は出来ん、サラリーマンが口で上手を言うのも嘘と言えば嘘だ。交通違反というが自動車が走ること自体が危ない。空手をすれば人の顔を足蹴にする。そう考えたら、生きていることは『悪』じゃよ」


「悪、それは犯罪でしょうか?」

ワシ
「悪と犯罪は違うね。
本当の『悪』は悪くない(笑)」


「本当の悪の意味とは何でございましょうや?」

ワシ
「本当の悪とは、『人間として生きる強さ』のことじゃ。必要であり、全然悪くない。
元々、日本では体制側から離れた自分の生き方をするど根性のある強い人間を『悪』というた。
代表格は大楠公、楠木正成や。
悪党楠木正成。
つまり本当の悪とは、生きる強さであり、または『MY WAY』のことや。」


「では、今、世間で言う悪とは?」

ワシ
「『弱い者いじめ』じゃ。
刃物を用いて人を脅し、金を盗む、社長の目が届かんことを良いことに金を盗む、これらはみんな他人の不利に乗じた、不当な弱い者いじめじゃ。これはワシが思うに、悪ではなく犯罪じゃ。本当の悪とは違う。
しかし、今の仏教では、しゃかりきに頑張って働いて金を掴むことまで悪だと言うのがいる。
『金に執着がある』
と言うてな。
これでは生きる気がせんわな。
欲しいものは欲しいで結構や。
車でも、金でも、女でもな。
おっさんがルーズソックス履いて、ポニーテールにしてシュシュしたいなら、それも良かろう。
オッさんがAKBの握手会へ行ってもかまわん。
しかし求め方にずるさや弱い者いじめ、殺生があってはならん。
それだけのことや」


「和尚様がそれを断言出来る根拠は?」

ワシ
「わしが過去の10年間、お前が言う清らかな生活を本当に本当にやってみたからじゃ。結果、役立たずの人間が出来るだけじゃ。
人間は因果な生き物でな、死にたいと思う最中でもうまい物食いたい。うまい物食ったら生きてしまうし、肉であれ野菜であれ、生きているものを食う。だから、生きている以上、浄らかとは言いがたい」


「それで無理があると分かったと」

ワシ
「そうじゃ。ワシは不可思議な世界を夢見させるだけなら、今の仏教は要らんと思っておる。
殊更に説く、仏心も要らんと思っておる。
仏心にこだわり迷って生きられなくなる人間は多いのよ。
清くあろうとして身動きが取れんのじゃ意味がない。
本当の教えとは学んだ者が学ばない者より強く幸せにならねばならん。
今、往々にして、宗教を学ぶと普通の人より弱くなる」


「和尚さんのような宗教家がそのようなことを。では我々は何を心の拠り所に?」

ワシ
「一番強いのは人間の普通じゃ。
生活心、普通心、真心、人間心と言えるかの。
難解なお経で悩む暇あったら、人間業をせい。人間に徹してみせい。それこそ、白隠の言う『衆生本来仏なり』じゃ。
普通が一番強いのじゃ。」


「しかし、世の中でひとかどの者になろうとしたら、やはり厳しい人間ばなれした修行が必要ではないでしょうか?」

ワシ
「だから、それは人間に徹し人間生活に励むことじや。
それぞれの稼業に熱心であることを離れて大成などするものか。
お経なんぞ、要らんぐらいじゃ。
たこ焼き屋がうまいたこ焼きを作れるようになったら天下でも取れるわい。
ペンキ屋はペンキを塗り倒せ、トイレの掃除屋はトイレをピカピカにせい、レーサーは爆走せい、そこに誇りも仏道もあるのじゃ」


「じゃ、私が今まで読んだ宗教の本の数々の意味は?」

ワシ
「知識は月刊エロトピア以下じゃな。月刊フローレンス以下かも知れん」

人間は自分の世界の座標軸を人間から外してはならんのだ。
普通とはの、「普く通じる」のことじゃ。特別、「特に別する」と通じないんじゃ。
普通は最強よ。
宗教の本を読んで、特別な考えを並べて、人より勝ろうとはゆめゆめ思わぬことじゃ。
仏教で「嘘も方便」というなら、尚更、「悪も方便」よ。
己が今、人間なら、神仏や死後の世界に照準をつけるな、それは次のラウンドのことじゃ。
今は人、人のラウンド、人のルールで戦え。
神仏の世界を語りたがるのは、人の世から逃げておるからよ‼️
仕事や学業に熱心で友達を思い、妻を労わり、子供を安心の中で育てる。実は、人間は神になろうとすることより、人間に徹しようとすることの方が大変なんじゃ。
強いて言えばこの世で人間に徹した者だけが神仏への道が開けるのかも知れんよ。

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